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こんにちは!
さおりです。
妊活していてよく考えるのが、
なぜ、子どもを産むのか?ということ。
子どもの頃って、
自分がいつか当たり前に、
親になるんだと思っていました。
でも、いざ時が来て、
妊娠しても大丈夫な環境になった時、
なぜ子どもを産みたいのか、
毎日ぐるぐると考えている自分がいる。
そこで今の私が思っていることを、
私なりに3つにまとめて、
こちらに書いてみたいと思います。
1.分身
一番最初に思ったのは、
もし、夫が不慮の事故や病気で、
この世界からいなくなったら…
自分は生きて行けるだろうか?ということ。
あまりの苦しみと悲しみに、
生きる希望を失ってしまうかもしれない。
きっとこれは、夫にとっても一緒で、
私がもし今、命を落としたら、
きっと深い悲しみに暮れるのではないかと思います。
(親とかもきっとそうですね。)
そんな時、子どもがいてくれたら、
自分は何とかこの子の為に生きて行こうと、
生きる希望になるかもしれない。
子どもを産むというのは、
自分が愛した人の分身を、
残すという行為なのかもしれません。
2.生きた証
先日、祖父が90歳で他界しました。
そこで、自分の命を改めて考えてみると、
この人がいなかったら、
今、私はこの世にいない訳で…
全く似ていないこの人の何かが
私の中で生きているのかも…と思ったら、
そうやって大昔から連鎖的に続いている、
子孫を残すという活動に参加してみたいという、
気持ちになりました。
死んでしまった祖父の何か、
そのまたお父さんのお母さんの何か、
そして、私が夫として選んだ人の先祖の何か…
そういったものが全部凝縮して、
この世に生まれてくるのが、
子どもなのかもしれない、と思うと、
私もその生命の連鎖活動に一役買ってみたい。
どこかで自分が死んだ後も、
自分の関連する何かが生き続けてほしい、
そんな傲慢さから、人は子どもを産むのかもしれません。
3.人生を豊かにするため
また、当たり前ですが、
私にはまだ子どもがいないので、
育てられた経験はあっても、
人を育てることは、未経験。
自分が子どもの時は、
「なんでこうしてくれないんだろう」
「自分だったら、子どもにこんなこと言わない」
そんなことを少なからず思いながら、大人になりました。
親になれる年齢になって私が思うのは、
きっと親も同じ人間だったのだから
子どもと生きるのに精いっぱいで、
無我夢中で失敗もたくさんしたはず。
正解がない子育てという
一生辞められない職に就き
最高に責任の重い「親」という役職を、
必死にこなしてきたのだから。
しかし、大変さの中にも、
宝物みたいな思い出や、
幸せを感じる瞬間は、たくさんあったのではないでしょうか。
(私がそう感じたように)
それを、今度は親の立場から、
経験したいと思うのは、
きっと今まで見てきた世界を、
違った角度で見てみたいという好奇心。
私はもう一度、
自分が生きてきた道を、
違う目線でなぞってみたいのかもしれません。
まとめ
上記に書いた3つ全てに共通しているのは、
全て「自分の為」ということ。
きっと、生まれる前から、
まだ見ぬ我が子の為に…なんて思って、
子どもを産む人なんてこの世にいない。
妊活していて、
何の為にそこに向かっているかわからなくなる時、
「自分の為に産むんだ」と
当たり前のことを認識しなおすと、
また、前向きになれるような気がします。
きっと運よく子どもを授かったとしても、
子育てにうまく行かずに、
苦しむ日もやってくるかもしれません。
そんなときに、
自分が自分の為に、
この子を産んだんだと思えば、
原点に立ち戻れるのかなあなんて。
そんな、妊活主婦の1人ごとでした。
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